マジでティッシュとトイレットペーパー売ってなくてワロタ。
転売ヤーはともかく、これを煽動した人天才だろ……。
その気になれば貨幣経済すら崩壊させて物々交換をしていた原始の時代まで文明を逆戻りさせられるのでは(挨拶)。
-*-*-
「異世界転生の浅さ」について、以下のように感じています。
『異世界転生がつまらない、あるいは惹かれない理由は舞台設定の雑さにある』
便宜上『第一話』と表現しますが、物語が始まってすぐ、主人公はたいてい異世界転生するか、もしくはすでに異世界にいます。
そして、異世界転生する理由も、今異世界にいる理由も早々に語られるわけですが、いずれも意味不明、まったく面白さを感じないものばかり、それが良くないと思うのです。
SAOは厳密には異世界転生ではありませんが、あの作品がウケたのは
・技術の進歩によりVR世界にダイブしてゲームを楽しむ文化が発達
・いつものようにVRゲームで遊んでいたら、ログアウトができなくなった
・ゲーム内で死ぬと現実の自分も死ぬ
というフィクションとしては自然な流れのもと、常に臨場感を演出する設定を敷いたからだと思います。
では孫太郎やスマホ太郎の場合はどうかというと(ちなみに筆者はアニメスマホ太郎がかなり好きです。)、そうではないわけです。
冒頭数分で現実世界の主人公が突然死に、当たり前のように存在している異世界にいきなり飛ばされます。
これのどこが面白いのか、本当にわからないのです。なにこれ。
少し話を変えます。
『ランド』という漫画があります。
太占(ふとまに)で政を行い平民は農耕をする古の時代、文字という文化の存在しない極めて非文明的な世界を描きます。
民は『50まで生きると「知名」としてあの世に行くことが出来る』としてこれを信じ、日々を暮らしていて、これが物語のキーになります。
土地を囲うように4体の守り神が立っていることを民は何一つ疑うことなく、それらを神として崇め奉り、恐れています。
『四ツ神様が見ているから、悪さはしてはいけない』
『今年は占いで凶が出たから四ツ神様に生贄を捧げなければならない』
と。
漫画はしばらくの間淡々と進んでいくのですが、実はこの世界には秘密がありました。
文字通り原始的な生活をしている彼らの生きる時代は、なんと西暦で言うとおそらく3000年くらいなのです。あるいはもっともっと技術の進歩した時代。
それを、彼らだけが知らずに生きている。
『原始的な農耕生活→実はこの世界、超近未来でした、彼らはずっと騙されていました』
というトリックが物語中盤で明かされるのです。
約束のネバーランドや進撃の巨人も近い設定で物語が進みますよね。
自分たちが観測していた世界は実は誰かに観測されていたといいますか、
視野をめちゃくちゃ広げないと自分の置かれている環境を把握できない世界。
私はこれを『井の中の蛙大海を知らず』系と呼びたいと思います。
(既出か、あるいは別のより適切な命名がなされているかは知りません。)
何が言いたいのかというと、異世界転生モノもこういう感じで書けば面白いんじゃないかなって。
つまりは最初は普通に異世界で暮らしている主人公を描いておき、物語が進むにつれて歯車のズレを観測できるようにし、頃合いを見て「実は主人公はこの世界の人ではありませんでした」的な。
こういう感じにするだけで随分面白くなりそうな気がします。
以上。
0 件のコメント:
コメントを投稿