猫アレルギーの可能性があるわけですが、とにかく鼻炎です。鼻通りが悪い。
就寝に影響があり困ったので、先日耳鼻咽喉科に行き薬を処方してもらいました。服用したらすぐに改善、そのことを嬉々として会社の人に話したら「それアレグラと同じ成分じゃね?」と言われました。
調べたら確かににほぼアレグラでした。なるほど。
アレグラを買ってきて飲んでみたら、こちらも鼻詰まりが改善……。
診察+処方薬の方がやや安い気がしますが、定期的に受診する面倒くささを金で解決出来るならアレグラ買う方が(個人的には)良いです。
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不快感は、自分の力の及ばない部分で自分の思い通りに物事が進まなかった時に感じるものだと思うのです。
自分の畑で野菜を育てている。隣人に軽く勧めると「嫌だよ田舎臭い」と言われた。
「まあ確かに知らない人からはそう見えるのかもな」なんて思いながら聞き流して。
その野菜が立派に育っているのを見た隣人がどうやらこれに興味を持ったらしく、好意で一株分けてあげたら礼の一つもなく。
田舎臭いと言い放ったことなんかすっかり忘れた顔付きで雑にそれを育てて「最近は家庭菜園が趣味で」「この時期はトマトが」みたいなことを周りに言っている。
隣人に影響を与えたのは私なのに。
そのトマト、私が存在していなかったら一生手にすることもなかったのでは。
ここで「家庭菜園を茶化した過去があるお前に土いじりをする権利があるのか?」と言う事は決して出来ない悔しさと底に溜まり続ける邪悪な不快感。
家庭菜園は誰のものでもないのだ。悔しい。つらい。
その時は真に聞き流せていた「田舎臭い」のたった一言が原因で、私の心にバケモノを棲み着かせてしまったのだ。
トマトが嫌いになりそうだ。心のバケモノはいつだって私の味方であり、私を苦しめる。
「自分のトマトの畝をスコップで潰して忘れるか、鍬で隣人の首を」
「それ以上はいけない」
思い返せば、数年前にも似たようなことがあった。あの時はガーデニングだったか。
「その花は何?」と聞かれたので答えると、後日隣人の家の前に同じ花が植えられていた。
相手に礼節を求めようとしてしまう自分が恥ずかしい。
つくづく心が狭い。心臓が小さくなって消えてしまいそうなほどに。
考え方を変えよう。
家庭菜園に自身の存在の全てを懸けているような生き方に問題があるのかもしれない。
「家庭菜園は自分にしか出来ない特別なものなんだ!」という生ぬるい考えがそもそもの誤りなのだ。
自己を確立するための手段として家庭菜園は不適切だった。世に転がっているモノに期待したり頼るのは真似されるから駄目だ。
もっと強力で奪いようのない心の拠り所。
それを探すのが人生なのでしょうね。死にたい。