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2024/11/08

珠バシャーモのフレドラはつよい


10年以上ブログ更新をしていると流石に気付くわけですが、ブログは私生活が充実していたり精神的に安定している時ほど更新しなくなります。
かつての私は本当に弱っていて、内側に潜むエネルギーの発散のためにひたすらキーボードを叩いていたようでした。これが唯一の自己表現の手段でありました。
今は普段の生活の中にいくらでも自己表現の機会があり、それが自分にも合っていてこれに満足しているのか、もはやブログ更新に対する執着はほとんどありません。

果たして良いことなのか悪いことなのか、どうなんでしょうね。
単に「何かを発信したい」という欲がなくなっただけなのかもしれません。
明日SNSがなくなっても私は何も困らない、そんな気がします。

-*-*-

ところで、ある時を境に私は凶暴になったと思います。
それまではあらゆることに対して諦めを感じていて、故に牙を失っている状態。
反抗することもなければ、積極的に行動するわけでもない。
単に抑鬱だっただけです。ハゲ、特に若年でのハゲというのは全てを滅ぼします。

運良く薬が効きました。(おそらく、ね。)
これは私にとっては牙でした。鏡を見ることに抵抗がなくなりました。
外を堂々と歩けるようになりました。気持ちが晴れやかで前向きで、根拠のない自信が私を守ってくれているようでした。

一方で、同時に怒りが込み上げてくるのです。これまで私を陰鬱な気分にさせ続けたこの世界に対して。
私にとっては生きている人全てが怒りの対象。
これまでに感じてきたえも言われぬ苦悩をぶつける先として、理不尽な物言いをする愚かな人々がまずは恰好の的となったのです。

正規雇用労働者(私は正社員という表現を好みません。)として仕事をしていると、しばしば謎の人間と関わることを余儀なくされます。
ここで私は"エネルギーの発散"を試みます。具体的に何をしているのか、何をしてどうなったのかは割愛します。お察しください。

斯くして、抑鬱は消え去ったかのように思われました。
ところが心の奥底を覗いてみるとはっきりと見える憂鬱の影。
常に暗闇に閉ざされたかのような日々。
何をするにもやる気を見い出せない。全てが億劫で、虚空に感じる。偽物の人生。人生ごっこ。ショートコント「人生」。ままごと。

単に怠惰なだけならどれほど良かったか。

-*-*-

人の話を覚えられなくなりました。
気付いたきっかけは「相手は私の話したことを覚えていたのに、私は相手が話したことをまるで覚えていなかった」ことが発覚してから。
正直かなりショックでしたがまあそもそも覚える気がないのでしょうね、実は相手のことに興味がないから。

弱っていた頃と同じくらいにまで、外に出かける回数が減りました。
土日は何もせず過ごし月曜を待ちます。
明日はそうだな、散歩に行きます。本当は散歩なんてしたくないけど。

夜眠れなくなりました。睡眠時無呼吸症候群の診断を受けたことは多分無関係で、睡眠障害は睡眠障害で別物でしょうね。
一睡も出来ずに朝を迎える日がしばしばあります。
他にすることもないので太陽をじっと待つのみです。

楽しいってなんでしょう。
一人でじっとしている時だけが真に楽しいです。
でも一人でラーメンを食べている時ですら時々楽しくないです。この前豚山で飲食マナーを知らないカップルを見かけて発狂しそうでした。
その点二郎はいいよ、変な客ほぼいないし静かだから。家でご飯食べているのと同じ。

痩せたい。美しくなりたい。死にたい。

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