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2014/01/02

ゆゆ式における心理描写の考察


ゆゆ式の世界には常に幸せが溢れていて、情報処理部の三人はいつも楽しそうに毎日を過ごしている。
しかし、原作コミックス及びアニメーションの諸描写から、ゆずこ、唯、縁それぞれの心の内に抱えるいわば「ストレス」が見えてくる。

「『唯と縁』とゆずこ」
アニメのサブタイトルにおいても、意図的にこれを表現している部分があった。唯と縁は小学生の頃からの仲であるのに対して、唯(縁)とゆずこは恐らく中学(もしくは高校)生からの仲なのである。
このことが、彼女らの人間関係にストレスを発生させていると私は感じた。

ゆずこも縁も、唯に対して特別な感情を抱いていることは間違いないであろう。しかしゆずこは縁よりもあとから唯を好きになったということを実感しているが故に、縁に対してある程度の気配り、遠慮、もしくはそれに似たへりくだりの意識を見せている。
「私は縁よりもあとから唯を知った新参者なのだから、縁よりも前に出てはいけない」と感じているのである。また、二人組の中に入って三人組にしてしまったことへの申し訳無さを感じている可能性もある。

だから唯への愛の感情をぶつける時にも、縁が流れに加わりやすいよう冗談ぽく言ってみたり、縁や唯に本気だと思われないように急に控えめになったりする。
ゆずこは縁を不快にさせないようにバランスを取りながら、唯への愛を叫んでいるのだ。

適切な対応
では、縁や唯はどうだろうか。彼女らもゆずこと同じく何らかのストレスを抱えているとみてよいはずだ。
まず、縁は上記のゆずこの気配りに気付いているといってよい。場を整えるためにゆずこの発言を聞いて大声で笑ってみたり、ゆずこと一緒になって唯をからかうのは、ゆずこが何を考えているのかをある程度把握しているからなのだと思う。言ってみれば、彼女は気配りに対して気配りをしている。
ゆずこの気配りとそれに対する縁の優しさが、あの空気を生み出している。

また単純に、「後から来たゆずこに(私の)唯が横取りされてしまうかもしれない」という不安も抱えている可能性は無くはない。既に述べたが、二人で歩んできたところにいきなり一人加わって三人になったのだ。縁や唯がゆずこを拒絶している(拒絶する)ようには見えないが、そのような未来もあるかもしれない。

求められるということ
ゆずこと縁から好意を寄せられている唯は、一見すると自然体であるようだ。ゆずこに対してツッコミを入れ、縁に対してもツッコミを入れ、暴走したゆずこを止め、暴走した縁も止める。それだけのように見える。

だが彼女にも悩みはある。唯は、ゆずこと縁が自分に好意を抱いているということを当然知っているのだ。だからどちらかだけと極端に仲良くするということを避ける。どちらとも同じくらい仲の良い状態にしようとする。

例えば、もし縁とだけ仲良くすると、ゆずこがそれを見て不安になり、不安になったゆずこを見た縁は再びゆずこと同じ立場になろうとする。それを見た唯が、二人にストレスを感じさせてしまっていると思い申し訳無さを感じる。当然それらを受けてゆずこもまた申し訳無さを感じる。これがループする。
唯はゆずこと縁が互いに前に出ないようにしているのを感じ取り、ゆずこや縁が感じてしまっているストレスを知り、こうならないためにもやはりバランスをとろうとするのだ。

ゆゆ式は自己犠牲
彼女ら三人は互いの顔色を伺っている。常に自分以外の二人が嫌な思いをしないように気配りをし続けている。そして皆が気配りし合っていることに皆が気付いているのだ。
ゆずこが縁や唯に気を遣っていることを縁や唯は知っていて、ゆずこが縁や唯に気を遣っていることを縁や唯が知っていることも、おそらくゆずこは解っている。

結論を述べると、三人は友だち想いだということである。
三人が三人とも、円滑な友人関係のために自分を犠牲にしている。献身的といってもよいかもしれない。彼女らは自分の命より友人の命を優先しそうである。

確かに彼女らはストレスを抱えている。
しかしそれは互いを愛するがゆえのストレスであり、共に進むことを誓い合ったがゆえに生まれた絆でもあるのだ。

【おまけ】

縁ちゃんは難しい。ゆずこは安定してきたと思う。

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