・ブラック企業に務めてて辛い辛い言いながらも辞めない人。「辞めないこと」こそが恥であることを知ってくれ。「辞めること」が合理的であることに気付け。事業主が一方的に得しているだけ。辞めれば一時的に双方が損をする。事業主は従業員を補充し直す。辞めた側は新しい仕事を探し直す。立場上事業主の方が上。すぐに事業主は人を雇い入れるだろうから事業主はまた得をし始め、辞めた人間は再就職出来なければ職を失い損したまま終わる。でもそれでいい。わずかでも事業主に打撃を与えたことは事実。それを誇りに思え。
遊戯王にマストカウンターというものがある。ブラックホールにチェーンしてインフィニティが効果を使い味方を守る。もし守らなかったら相手が一方的に得をする。使わざるを得ないという状況下で発動する対抗だ。
ブラック企業から抜け出すことはまさにこれだ。ブラック企業を辞めることはマスト。仕事を失うことになるが、辞めなければならない。そこで働き続けたら事業主が一方的に得をする。ブラック企業勤務の社会人よ。対抗呪文を唱えろ。生き恥を晒すな。
・過労死する馬鹿。過労死させる企業側も大いに問題だが、自己管理能力と意思表示する勇気、覚悟を持たない従業員側も問題。大人だろ。言えよ。大人だろ。ヤバイと思ったら逃げろよ。大人だろ。自分のことくらい解るだろ。本当に大人か?私なら傷害事件沙汰にしてでも鬱憤を晴らす。
生きることは正義ではない。幸せとは金のある状態のことではない。時には死も幸せになる。過酷な環境下で労働を強いられてまで、生き続ける意味とは。命と人生は、自分だけのものだ。
・大卒入社したうち、過労死または自殺した割合と、大学(高校)に一般入試以外の方法で入学した割合に相関が見られるのではないだろうか。例えば内部進学や一芸入学は、一般入試組に比べ、基礎学力や自己管理能力が欠けている。一般入試で入学した慶應大卒と、そうでない慶應大卒は、肩書は同じでも中身は違う。
言い方は悪いが、自力で大学に入っていない、その大学に受かる程度の正当な能力もない、つまり、単に大卒給料を貰うだけの能力がないのにもかかわらず、大卒給料に匹敵するような仕事を任されている可能性がある。
能力のない慶應大生も、超大手企業への就職は十分可能である。企業は彼を平均的慶應大生として受け入れる。当然、ギャップが生じる。出来もしない仕事を出来ると思われ任される。結果、出来ない。
・将来、自分がどこかのオフィスで働いているという姿がなかなか想像出来ない。出来たとしても、辛そうな自分の影がチラつく。想像に難いことは、実際にも起こりにくい気がする。私は、高個体値クレセリアを駆る自分の姿を想像できていた。だから理想個体を捕獲出来たのかもしれない。
・就職はゴールではなくスタートであることを忘れてはならない。嫌というほど辛い思いをしてまで一人で生きる必要はない、と思っているならば、働かないのも一つの選択肢だと思う。
仕事は辛いもの、それ相応の対価を得るのだから仕方ない、そう割り切れるのであれば問題ない。
しかし、辛いのは嫌だ、それなら報酬は要らない、そう思っているならば、はじめから就職などしてはならない。受け入れる準備をしてくれた会社に迷惑がかかる。
まあ、端から使い捨てるつもりで会社が人を雇っているなら、最大限の損失を会社に与えた後で辞めよう。
そうでない真面目で真摯な会社であれば、きっと大丈夫、大丈夫。
畢竟、実際に入社してから判断するのが最も良い。その会社を悪という意味でダメだと思ったら辞めたって問題ない。良い会社なら、そもそも辞めるという気持ちにはならないだろう。
とはいえ、私の場合、世界で最も優良な企業に務めても、労働と拘束に耐えられずその会社を悪と決め付けそうだ。週休5日は欲しいね。