竈は変わらず熱を帯びていました。顔を近づけると熱い空気が渦巻いているのを感じます。
「うーん、そこまで温度が下がっているようにも思えないけど、一応火力を強くしておこうかね……」
ヘンゼルはいつの間にか生地のもとを離れ、グレーテルの隣に居ました。場所はお婆さんの真後ろ。ヘンゼルとグレーテルは、竈を覗きこんでいるお婆さんの背中を、ドンと押しました。そして、竈の蓋を閉めました。
中から叫び声が聞こえてくることを、耳を塞いで目を閉じている二人が知ることは、決してないのでした。
二人はお菓子の家を出る身支度をしています。ちょうど助けが来たのです。ヘンゼルの友人がお菓子の家の前で二人が出てくるのを待っています。グレーテルは透明な砂糖菓子の窓から顔をのぞかせてなにか感謝の言葉を言っている様子でした。
ヘンゼルとグレーテルは持てるだけのお菓子を手に、扉を開きました。友人の顔を見て安心した二人は、顔をほころばせます。玄関に友人が上がり込んできて、無事でよかったと安堵の息を漏らしました。安心しきった気持ちはやがて愉悦へと変化し、囚われていた二人は外に出て戯れながら踊り出しました。一人取り残された友人はその姿を見て呑気なものだと微笑むのでした。
ふと、靴入れの上の花瓶に目をやると、友人はその隣に一冊の本が立てかけてるのを見つけます。依然ヘンゼルとグレーテルは外で開放感を味わっているようで、時間を持て余すことになった彼は、その本を開いてみることにしました。どうやら日記のようです。これは二人が書いたものなのだろうかとか、もしそうであるならば良心が痛むなあとか、そうなら少し気になるなあとか思いつつも読み始めてしまうのは仕方のない事でしょう。日記にはこう書いてありました。
『迷子の兄妹を助けた。彼らが元気になるまで私が介抱してあげようと思う。グレーテルという女の子は元気がなくて不安だ。人見知りなのかもしれないから焦らずに打ち解けていきたい。それからあの珍しい鉛筆をヘンゼルという男の子にあげたよ。とても喜んでいた。グレーテルにはあなたが私にくれた時計をプレゼントしようと思う。受け取ってくれるといいが少し不安だよ』
友人はページをめくります。外からヘンゼルのそろそろ帰ろうぜという声が聞こえてきた。
『最近二人の様子が変なので心配だ。ヘンゼルは以前よりも元気が無い。もしかしたら悩み事があるのかもしれない。私が相談役をかって出られればよいのだが所詮は赤の他人と切り捨てられてしまうかもしれないから、少し様子を見ようと思う』
友人はページをめくります。
『明日はケーキを作ろうと思う。きっと喜んでもらえるだろうから今から楽しみだ』
日記はここで終わっていました。友人は玄関を出て扉を閉め、二人のもとに駆け寄ります。遅いよ、何やってたんだという質問を適当に受け流して、ヘンゼルに問いかけました。
「ねえヘンゼル。この家に人は住んでいたの?」
「ん、はじめから無人だったよ。だからしばらくの間住まわせてもらったのさ。ねえ、グレーテル」
「ええそうよ。人なんて住んでいなかったわ」
三人分の影がゆらゆらと森を進んでいます。もうすぐ街に出ることでしょう。気のせいか三人ともひどく痩せ細っているように見えました。
(おわり)
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