2013/01/15
空想革命
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雑記
持論:人類の目的が文明の進歩と子孫の繁栄であると一体誰が決めたのか。生きる意味はあるのか。
以下、現実社会から切り離していません。時間的に繋がっています。
奴隷と自由人をアトランダムに分ける。奴隷は自由人に付き従い、労働をする。しかしかつての奴隷制度とは異なり、合理的な法の下この体制が敷かれており、例えば奴隷への過度な罰や権利の制限、自由人の極端な優越などは認められておらず(あくまで地位は自由人>奴隷だが)、奴隷が貧しい生活を強いられることもない。自由人は奴隷を丁重に扱いまた人権を尊重した上で労働を強制させる。奴隷は場合によっては主人に意見をしてもいいし、仲良く交流して構わない。
奴隷の労働には等しくノルマが設定されており、それを超えて労働をすることは許されておらず、また能力の優劣によって評価が変化することもないため競争本能(競争社会)を抑制できる。事前の調査で元から能力の高いものには多くのノルマを、低いものには少しのノルマを課すことで怠慢も防ぐ。またこのノルマは自身と主人以外に知らされることはない。
労働の内容は主に生産業(第一次及び第二次産業)で生活に直接関わるものになる。情報サービスや精密な電子機器などは生きる上で必ずしも必要とはいえず、これらの物については一切の開発を行わないため衰退してくこととなる。いわゆる無形の便益を売るサービス業については現在検討中であるが、そもそも必要ないかもしれない。ともかくこうした原始的生活が中心になっていく。
労働の対価として得られるものは食糧や衣類などの生活必需品であり(現物支給)、エネルギーや水道などは国が供給を行う。住居や家具などについては現在の世界に腐るほどあるのだからそれを利用すれば良い。
先に述べたエネルギーなどの供給を行う国家的公的組織についてはこの社会に貢献したいと思う我々が担当し、設備を整える。完全ボランティア制であり特別な権威を持つことはない。彼らもまた奴隷を携えていることは言うまでもない。
生殖そのものは認められていない。人口増加は不必要である。そもそも子孫を残すことに何の意味があるというのか。この問いかけに答えられる者などいないのである。
奴隷と自由人の分け方は冒頭で述べたとおり完全にランダムであり、数年ごとにリセットされるが連続で同じ立場になる場合もある。基本的には同性同士の主従関係ではなく男が奴隷ならば主人は女になり逆も然りである。これは娯楽を極端に排除したこの制度の欠点を補うための措置である(現在物的に存在している娯楽(書籍など)については存続するだろうが、電子機器を使用したものや費用のかかる例えば旅行などについては衰退していくだろう)。
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