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2021/04/08

アノミー

慟哭(どうこく)。私は今、この文章を、溢れ出ようとする感情を抑え込み、必死に書き綴っている。

覚醒。冷めたと覚めたは用途が異なるからこそ字が違うのだが、私には畢竟(ひっきょう)、同じ意味合いであるように思うのだ。
覚めた時、たいていそれは冷めているし、冷めたということは即ち覚めたということなのだから。

劣等。このブログの名前は……。名は体を表すとはよく言ったものである。


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はじめに、私には意中の相手が同じ会社内にいる。
(彼女の勤務地が東京ではなく大阪であることから、ここでは仮に「大阪ちゃん」と記載する。)
彼女が東京出張する時を見計らい、私は勇気を振り絞ってランチに誘った。昨年の11月のことである。
その時、無事二人でのランチを実現させたのだが(詳しくはこちらのエントリーを参照願う)、
それから数ヶ月経った今日、あろうことか二度目の機会を得た。
無論、単純にまたランチに誘っただけである。誘って、幸か不幸かまたOKが出たのだ。
今日はその一部始終をお届けする。
なお、この物語はフィクションである。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは一切の関係がない。


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私は普段、家にいるときもよほどのことがない限りは化粧をしている。外出時はなおのこと丁寧に行う。
化粧をすると顔面がいくらかまともになるからだ。
今日はいつもよりノリがよかったし、眉もキレイに描けた。マスカラも肌に付かなかった。
この日のために、というわけではなかったがおよそ2年前から通っているヒゲの医療脱毛もいよいよ施術終盤を迎えており、ここぞとばかりに私を支えてくれているのだった。
つまり綺麗な口周りであるということだ。
完璧だ。
自身の知り得る最高のコンディションで姿見(すがたみ)の前に立つ。
服にシワも汚れもない。靴も綺麗に昨夜磨いた。
体調も良いし、最高の気分だった。


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「(出られそうなら、)11:50くらいになったら出ましょうか!」

彼女に対してこのようにSlackでメッセージを送信した私は思いのほか冷静だった。
どのくらい冷静だったかというと、自分に対して「11:30くらいに『11:50くらいに出ましょうか』と送る」と送り、これを11時にリマインダー設定していた。(浅瀬蟲)(伝わらない)(ただし、こんな大事なことを忘れるわけがないのでリマインダー設定はあまり意味はなかった)(言うほど冷静でもない)

私は今日11時~12時で部内の会議があったのだが、毎回早く終わるということを知っていた。
今日も例によって早く終わり、直前になって「すみません急に体調が……」とか「すみません急に仕事の予定が……」といった馬鹿げたアクシデントもなく、ほっと胸をなでおろした。
(正直、そういうメッセージを受け取る可能性も考慮していたので、これは杞憂で本当に良かった。)
(ちなみに前回はあった。大阪ちゃんの会議が12:10頃まで伸びた。)
約束の11:50、私の視界を完全に覆い尽くモニタから顔を覗かせると、奥の方には大阪ちゃんがいる。

時間を事前に伝えていたということもあり、向こうもこちらの様子を伺っていたようだった。
しっかりと目が合い、はっきりとしたアイコンタクト。嬉しい。
周りよりも少し早く、二人だけがフロアを立つその光景は、傍から見たら怪しいというか、「なにかあるんだろうな」と思われたかもしれない。
ほんの少しの優越感のような邪(よこしま)な何かと、残りはすべて純粋な喜びと緊張。
斯(か)くして、第二次のえランチは無事(コロナ禍の時点で無事ではないが)開催の運びとなった。


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エレベーター待ちの時間や、ビルから飲食店まで歩く時間、無言になることなく会話が続いたのは私が会話デッキを用意したからではなく、同期が会話デッキのビルドコーチをしてくれたからだ。
昨日の夜、たまたま同期のグループLINEで「同期∧女性∧大阪ちゃんと同じ部署の人」と連絡を取っており、
※∧……AND演算子のこと。「且つ」と読み替え可能である。
「せっかくだし明日大阪ちゃんとお昼に行くってことを報告しておくか」と思った私は個別LINEで彼女にその旨報告をした。(ちなみに、私が大阪ちゃんに気があるということを彼女だけが知っている)
グループLINEが稼働していたこともあり、個別LINEの方もすぐに返信があった。
特に何かを求めていたわけではないのだが、ありがたいことに流行りのパワーカードもとい会話ネタを提供してもらえた。

このカードはたしかに強い。やはりカードゲームは環境読みと知識のゲームなんだな。
そう思って即座に弱いカードは抜き捨て、これらの強い話題がデッキトップに来るように仕込んだ。

食事中の会話は自分でも驚いているのだが、かなり弾んだ。
バスケットボールか、あるいはテニスボールか。
火曜日にも一緒にお昼を食べた(この時は大阪ちゃんの上司も含めた3人)のだが、これが効いていた。
その時に出た話題を膨らませるという手法が使えたからだ。
相手に既婚の姉がいて、姪御さんまでいるというネタを、私は利用せずにはいられなかった。

今回はちゃんと、全額私が支払った。(前回はクーポンで両者0円支払いだった。)
私から会話を切り出すばかりでなく、向こうからも話をたくさんふってくれた。
改めて猫の話をした。
猫を3匹飼っている友人がいると言うので、私にも猫を2匹飼っている友人がいるという対抗呪文で迎撃した。
ただ、それが無職であることは伏せておいた。
お店は毎回確実に美味しいところを選んでいるので、失敗はしなかった。
細いのによく食べますね、と言われた。
誇らしげな自分がいた。
いい機会だったので大阪ちゃんもスリムですよね、と言い返した。
余談だが、私は腰のラインがそれなりに出るふざけたYシャツを着て会社に行く。もはや腰の細さだけが自慢なのだ。
よつばとを勧めた。最初の方は読んだと言っていたので、15巻の良さを伝えた。
これを書きながら、Amazon在庫が復活していたようだったので14巻をポチった。14巻だけ電子だったから。
会話の流れをうまく作って結婚の話もした。
そこからさり気なく彼氏チェックをした。なんとも表現し難い回答だったので、フリーではない気がした。息苦しい。
時計や投資、虫の話は一切しなかった。あくまで自然発生した話題に徹した。
ちなみに、「結婚願望はない寄り」と言っていた。それは確かに私もそうだ。
辞めた私の先輩の話をした。「補充がないからこの先どうなるのか楽しみだ」と自虐的におどけてみせた。
私は近々試験があるので、資格の話をした。私も大阪ちゃんも簿記3級は持っているというところで落ち着いた。
引越しの話をした。食費の話や、テレワークでの光熱費の話をした。
今日は天気が良かった。ビルに戻る時に「外でポケットWi-Fiで仕事したいですね」と大阪ちゃんが言った。
全くその通りだ。こんなに天気が良いのだ。
自フロアへ向かうエレベーターを待っている折、他の階の話をふられた。
「私もあまり自分の階以外は行かないですね、でも2階には○○があったはずで、……」と不確かな情報を共有した。


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前回に比べて、本当に色々な話をしたと思う。
時間の流れも早いような遅いような、とにかくゆったりと充実した一時(ひととき)だった。

自フロアに止まったエレベーター。
右手にお手洗い。左手奥に向かうと私達の執務室がある。

「お手洗い行くので先に戻っててください」

一緒に戻ったら、出ていった時と同じく周りの目に晒され得るから、それを避けたいと思うのはきっと一般的な感情だと思う。
それが男女2人だとしたら尚更だ。

言われる準備をしていた。まあそれは仕方ないことだろうと構えた。
が、特にそのようなことを言われることもなく、普通に会話は続き、カードでドアを開け、
そのまま周囲の視線を僅かに感じながら、席に戻った。


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Slackで「お昼付き合ってもらってありがとうございました!」と一言お礼を述べた。
楽しかったことを述べ、また都合合えば是非、とも付け加えた。短文だ。

……。

その後の彼女からの返信が、どうしてもそっけなく見えて、その文章を書かせた自分を呪った。
悟ってしまった。

LINEでメッセージを受け取る時、そこには必ず肯定的な絵文字が含まれていた。
眼前の返信には、絵文字はなかった。
いや、絵文字の有無は大した問題ではなかった。
意図的に「また都合合えば是非」に対する回答をしていないように読み取れたことが、私の心を揺さぶった。

悟ってしまった。

「のえさんはよく気が付くよね」とか「周りをよく見ているよね」と社内で評されることがしばしばあった。
社交辞令だろうと思っていたが、改めて顧(かえり)みると、そのとおりな気がした。
私は他人の感情の機微や、文字列から感情を読み切るのが、おそらく人より上手い。
だからこそ、悟ってしまったのだ。

ああそうか、負担をかけ続けていたんだな、と。
断ったらかえって雰囲気を乱すから、誘いに乗ってくれていたんだな、と。
私は一体、今まで彼女に何をさせていたのだろう。どれだけの気遣いをさせていたのだろう。
そんなことをさせる権利など、私にあるはず無いというのに、どれほどの罪を彼女に押し付けていたのだろう。

午後はずっと反省していて、仕事をしていたのかどうかわからない。
丁寧にまとめられた議事録がそこにあった。
顧客からの問い合わせに柔軟に回答していたメールが連なっていた。
契約書とにらめっこして、注意すべき箇所をハイライトし、課長へレビュー依頼をしていた。
先輩から大昔のドキュメントを探してほしいと言われ、一緒にサーバ内を捜索して、無事見つけられた。
なんて簡単な仕事だろうと思った。

あっという間に定時を回った。

見えない罪を見えるようにして、その罪を認めて、そして贖罪をしようと思った。
Slackでメッセージを送った。


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明日がテレワークでよかった。

勤務地が東京と大阪で離れていてよかった。

部署が違ってよかった。

彼女の気持ちに早めに気付けてよかった。

見えないものや不確かなもの、曖昧な感情を罰する法がなくてよかった。

いや、本当はあった方がよかったのかもしれない。

嘘でも楽しく会話が出来てよかった。

嘘でも二人でご飯を食べることに付き合ってもらえてよかった。

勇気を出して誘ってよかった。

勇気なんか出さなければ、よかった。

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