普通に泣いてしまいました。
今日はこれにまつわる私の感想と持論の展開です。乱文につきたたみます。
まず、単純にアイドルの持つパワーは凄いと思いました。
(ここでいうアイドルとは「偶像」であればその条件を満たすものだと考えてください。
またこの文章は声優ファンである私がいわゆる「アイドル」を「声優」と置き換えて書いているということも予めご留意ください。)
アイドルは無論ファンの心の支えであり、アイドルにとってのファンは所詮タダの客でしかないのだと思っていました。
実際、ほとんどの偶像-崇拝者の関係はこの通りだろうし、今回の例は本当に稀なんだと思っています。
実際、ほとんどの偶像-崇拝者の関係はこの通りだろうし、今回の例は本当に稀なんだと思っています。
ともかく、私は彼女の文章から「彼女が本当にファンに支えられて活動していた」のだと強く感じました。
「ファンに支えられているアイドル」なんて、なんと美しいことでしょう。素敵ですね。美談にしてはダメなのでしょうが。
「ファンに支えられているアイドル」なんて、なんと美しいことでしょう。素敵ですね。美談にしてはダメなのでしょうが。
私はしばしば、「応援とはつまり何か」を考える時があります。
活動を見守ること?イベントに足を運ぶこと?金を落とすこと?ファンレターを送ること?
わからないです。「応援」とは。そもそも意味のあることなのでしょうか。
たかが一ファンがいわゆる「応援」をせずとも、彼女らは勝手に努力し、勝手に伸びていく可能性についてはどう判断すべきなのでしょうか。
しかし今回の件を知り、「応援とは何か」に対する、一つ自分なりの解答にたどり着いた気がしました。
飽くまで自分なりの解答です。
「応援」とはすなわち、対象を好きでいることだと思います。これが私の答えです。
決して思考停止などではありません。
「好き」が全ての原動力になっているというのは芯が通った一つの思考の結果です。
気付いたら現場に足を運んでいるといっても、きっと無意識のうちにあれこれ考えた結果そこにいるのだと思います。
"やっぱり好きだから行こう"
イベント参加だってタダじゃない。時間も無限じゃない。
そんな中でイベントに参加するという選択をしているのだから。
そんな中でイベントに参加するという選択をしているのだから。
"推しが出てるからアニメ見るか……"
これも結局「好き」という感情が捨てきれないからこそ、そういった選択をしていると思います。
せめて自分にとって快であるように。そして応援している対象にとっては絶対に不快でないように。
そうありたいですね。
終わり。(ただし、「I am your fan」を伝えるにはファンレター書くのが一番だとは思います。)
(とりあえず、あそびあそばせを読みます。)
(イベント続きでクソ忙しい)
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