背中にはヘンゼルの手が置かれていました。冷たい手がグレーテルの背中でゆっくりと動きます。文字を指で書いているのだとすぐに察したグレーテルは、くすぐったい気持ちをぐっと我慢して意識を背中に集中させます。ヘンゼルの指が刻んだそれは、とても短い文字列でした。そして、とても恐ろしい文字列でした。極度の緊張と、少しの安堵と、淡い期待と、そしてこれから先訪れるであろう恐怖を噛み締めているのか、二人は小さく震える体をお互いに感じながら無意識の闇に落ちていくのでした。
それがどんな人生であろうと、太陽は平等に私たちを照らします。朝です。ヘンゼルとグレーテルは、その機会を伺っていました。ぎこちない仕草の数々は、お婆さんを心配させました。
「どうしたんだい、二人して。いつもより元気が無いように見えるねえ。なにかあったら私に相談してくれてもいいんだよ」
二人は相槌だけして、いつも通り食卓につきました。美味しいはずの料理もなんだか味気ないように感じました。二人は無言でパンを齧ります。
「そうそう、今日はケーキを焼こうと思うんだ。美味しい苺が手に入ってね。これで元気をだしてくれるとうれしいんだけどねえ」
もともとケーキを焼こうと思っていたのかはさておき、お婆さんは二人を喜ばせようとしているようです。グレーテルは一応嬉しいと答えますが声に生気が無いようにも聞こえます。しかしヘンゼルの反応は違いました。
「本当ですか。すごく嬉しい。僕もなにか手伝いますよ、お婆さん」
「そうかい、それじゃあちょいと来てくれるかね」
「うん。ねえ、グレーテルも一緒に作ろうよ。きっと楽しいさ」
グレーテルはヘンゼルの行動の意味を理解しました。好機を逃すわけにはいかないのです。
「……わかった。私も手伝う。お婆さん、私たちのためにありがとう」
ケーキを焼くのに、お婆さんは大きな竈を使っているようでした。中はかなりの高音に保たれている様子で、傍に寄ると熱が伝わって来るのがわかります。二人はその竈を傍目に、お婆さんの指示通り材料を準備していきます。卵を割って、小麦粉を入れて……。苺の蔕(へた)を包丁で切り取るのはお婆さんの仕事です。生地を混ぜるのは三人で交代しながらの作業です。非力なグレーテルには少々荷が重いようで、途中からはお婆さんとヘンゼルの二人で交互に作業をしていました。
ふと、グレーテルは竈の目の前に立ってこう言いました。
「お婆さん、ちょっといいかしら。竈の温度が下がっているみたいなの。さっきよりも熱くない気がする……」
「おや、そうかい。今行くから待っていておくれ。ヘンゼルや、生地の方を頼んだよ」
お婆さんがグレーテルのもとへ行き、竈を覗き込みます。
(続きます)
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